理事長あいさつ

新しい老人ホームを目指して

理助長 村上正人

 平成4年3月、自分たちの力だけで新しい老人ホームを開設しようとの思いで、10年間勤めた老人ホームを辞めました。今思えば無謀且つ無計画な行動でした。前年に結婚したばかりで開業資金など全くなく、微々たる退職金と僅かな預金しかありませんでした。私はデイサービスセンターと特養の兼任業務に就いていましたが、経営方針に疑問を感じ、仕事が終わると仲間の職員たちと近所の公園や駐車場で何か老人ホームを作れないか、資金がなくても新ゴールドプランにうまく乗れれば開設できないかなど真剣に考えていました。

社会福祉施設の現実

 社会福祉施設とは本来、善意な富裕層の人々が弱者救済を目的に始めたはずですが、時と共に創立者や創立時の協力者の精神や心意気が薄れ、末期的な社会福祉施設では経営者のモラル低下、弱者からの摂取、利用者への非人道的行為が善悪の意識もなく繰り返されます。高額な寄付金者への別格扱い、出身や学歴、生活歴による差別などから、利用者家族からは軽蔑されることも多く、退所時に親族から恨み言葉を聞く事は現在の絹の道職員には理解できない事だと思います。そのことへの憤りは、自分たちで納得できる施設を創設し、本来あるべき姿で自分たちで経営するしかないように考えていました。

開設計画の頓挫

 しかし現実は大変厳しく、当初あてにしていた開設予定地は仲間の一人の父親が所有する土地で、土地助成金を寄付してもらい開設資金に充当する計画でしたが、父親が急逝し予定地での計画は見事に頓挫しました。東京都の担当者からは事前協議を打ち切られ、半年ほど有料老人ホームへの変更を模索していましたが、資金もない自分たちには到底無理な計画で、銀行や農協からの融資は歯牙にもかけてもらえず暗中模索のなか、故人となった手嶋氏や前理事の根岸氏から諦めずに特養の開設を勧められました。

奇跡的な土地取得

 現在、施設が建っている場所は、土地所有者が7人もいる市街化調整地域で、水路と赤道が縦横無尽に走り、土地を絶対に売らないという西武鉄道を説得し、沖縄に住む方や長期入院している方にも直接お会いし土地を売却して頂くようお願いしました。また、購入した土地に建物を建てるために、一つひとつ問題を解決しながら様々な許認可をクリアし、建物が建てられる一つの区画にし建築確認の許可を取得できたことは、今でも奇跡的な事のように思います。

支援者たちの存在

 なかでも、融資不可能といわれた私たちに「心意気に使命を感じる」と共鳴いただき融資を決断してくださった旧さくら銀行昭島支店長の米沢氏がいなければ今の絹の道はありませんでした。また、銀行への担保物件を提供して頂いた前理事長の大塚氏の厚意がなければ成功しませんでした。

突然の困難

 しかし、残念なことに米沢支店長が移動し、後任の支店長から何の説明もなく「辛辣な貸しはがし」と「今後の融資は全て破棄」と宣告を突然受け、奈落の底に突き落とされました。特に米沢支店長のもとでは友好的に振舞っていた副支店長の豹変ぶりは、テレビや小説の世界に描かれるような卑怯な振る舞いに終始し、全ての責任を前任の支店長に被せ、2年間の信頼関係は根底から瓦解し早期返済を毎日のように迫られるありさまでした。抵抗手段もなく未熟な私たちには世の中を勉強する良い経験をさせてもらいましたが、銀行の豹変で融資を切られた私たちは、補助金が交付されるまで資金を調達しなければならなくなり、施設開設に必要な備品等の購入や人件費にも事欠くありさまでした。

苦しい時の助け舟

 特に辛辣だったのは、沖縄に住む地権者の件で那覇税務署に呼び出されたときにすぐに支払いがないと納品した事務機器をすべて回収するとコクヨ事務機器から催促を何度も受け、途方にくれた私を見かねた日産火災の阿部氏が個人的な融資を申し出てくれた事です。私自身かなり追いつめられて不整脈と診断され薬を飲むほどでしたので、物凄い感謝をしたことを忘れられません。

厳しい現実

 当時、岡光厚生省事務次官が関与した彩福祉グループ不正補助金事件の真っ最中で、我々の補助金交付後に支払う契約関係は良かったのですが、そうではないものも多く毎日のように催促され心身ともに疲弊していました。時同じ頃、朝日新聞の取材があり意気揚々と自分たちの夢をかなえる老人ホームを語りましたが、真相は市区役所から独自に補助された通称「ベッド売り」で新宿区を悪意的に表現した記事に施設名と私の名前が載る内容でした。真実を語らない朝日新聞らしい汚い取材方法で割り切れない嫌な思いが残りました。また、特養と共に開設したデイサービスB型へ移行するよう当時の福祉課課長に言われた時は想像を絶する怒りを感じました。

感謝と未来への展望

 この10年を振り返ると苦しいことや悲しいことも美化され良き思い出になると言われますが、苦しい時に助けていただいたことへの感謝は一生涯忘れられないと思います。最後に法人の理念についてですが、本来の姿である弱者救済に資材を投じる善意の富裕層に成り代わる存在として地域社会に認められてこそ社会福祉法人を名乗れると考えています。国家や地方自治組織からみれば微々たる存在ですが、鑓水地区を中心に自分達で活動できる範囲の地域で自分たちが納得できるサービスを最も必要ととしている人々へ優先的に施していける力ある社会福祉法人が理想です。最も困っている人々が何に困っているのか敏感に察知できる福祉経営者になるよう努力していきたいと思います。

理事長 村上 正人